養蜂(ようほう)が始まった歴史は早かったようです。
養蜂とは、蜂蜜あるいは蜜蝋をとるためにミツバチを飼育することです。
もっとも古くでは、紀元前2500年の古代エジプト文明の壁画に、ミツバチの巣箱からハチミツを取り出している養蜂の様子が描かれています。エジプトとハチミツの関係は深く、紀元前3000年に始まった第一王朝の頃から、女王蜂の姿が王座のシンボルとして使われています。
紀元前300年では、ミツバチの巣を船の乗せてナイル川を移動する移動養蜂が始まっています。
メキシコ南東部古に栄えた古代マヤ文明(紀元前900年頃成立)でも養蜂が行なわれていたことが知られています。16世紀に彼らを侵略して滅ぼしたスペイン人は、その優れた養蜂技術に驚いたそうです。
日本では、皇極天皇三年(643年)に、百済の太子余豊が大和三輪山で養蜂をしていたという記述が『日本書紀』に残されています。
また、『大日本農史』によれば、養蜂の始まりは皇極天皇二年(642年)とされており、平安時代には宮中への献上品の中に蜂蜜の記録があります。
蜂蜜は、当時、主に神饌用、薬用であったようです。
平安時代の貴族は、香木を混ぜ合わせて「練香」をつくる『つなぎ』として、はちみつを使っていたそうです。
巣箱を使った養蜂が始まったのは、江戸時代に入ってからです。
ラ式巣枠と呼ばれる巣枠が1851年に開発されました。
現在見られる「近代養蜂」が見られるようになるのは19世紀半ばのことです。
19世紀にいたるまでは、蜂蜜を得るには蜂の巣を壊してコロニーを壊滅させ、巣板を取り出すしかありませんでした。
1853年、アメリカ合衆国のラングストロス (L.L.Langstroth) が自著『巣とミツバチ』"The Hive and the
Honey Bee"において、蜂蜜や蜜蝋の採取時にコロニーを崩壊させずに持続的にミツバチを飼育する技術である近代養蜂を開発しました。
その後、取り外し可能な長方形の巣枠、みつばちが巣を作りやすいように蜜蝋を六角形模様にプレスして作った巣礎、蜜を巣から取り出すための遠心分離機などが発明されました。
現在に至るまで養蜂の基本的な手法はラングストロスの方法と変化していません。
20世紀半ばまでヨーロッパ、特にフランスの養蜂は趣味の範囲にとどまっていました。
自分の土地の片隅に巣箱を設置してはちみつを採っていました。
親から子へ、そして孫へ伝えられるような副業でしかありませんでした。
1960年代の自然回帰ムーブメントを機にはちみつが注目され、多くの研究がなされました。巣箱の設置方法や移動養蜂のことなど多くのことが解明され、養蜂業の発展につながりました。
しかしその一方で、今でもアジアやアフリカ、アマゾンの各地では何千年前と同じ方法で野生のはちみつが採られています。
これだけ進化している世の中で、養蜂はほとんどが手作業です。
しかも人間ができる部分は昔からほとんど変わらず、自然が全てを握っているといっても過言ではありません。
日本では、戦後、高度成長期に開発が進むと、農薬の使用が増えるなどして、自然破壊が進み、養蜂に適した環境が少なってしまいました。
さらに安価な輸入品が増えたため国内の養蜂業は衰えてしまいました。